灘地方の酒造りの歴史は、1330年頃までさかのぼると言われています。
灘は、六甲颪(おろし)の寒風と内海の影響がもたらした寒造りに好適な気候と、杜氏や蔵人たちなど、勤勉な労働力を提供してくれる丹波に近接していること、そして、樽廻船などを用いた、江戸へ酒を運ぶための海上輸送に有利な「海岸地帯」に位置していたことで、酒造りの好適地として多くの資産家が酒造りを始めました。
江戸時代の明暦から享保のこの時期が、灘酒の勃興期で、沢の鶴もこの時期に創業しました。
1716年になり、初めて「灘」の名称が使われるようになり、後に、「灘目(なだめ)」と称されるようになります。
灘目は、上灘、下灘として摂泉十二郷のうち二郷を形成し、西宮郷、今津郷を加えた四郷が、その後の「灘五郷」となっていきます。
現在の灘五郷は、西から西郷(にしごう)、御影郷(みかげごう)、魚崎郷(うおさきごう)、西宮郷(にしのみやごう)、今津郷(いまづごう)です。