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その2
| 灘酒隆盛の要因 | |||||||
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明治期以前までの灘酒隆盛の要因を箇条的に示すと次の通りです。
(2)原料素材的要因
(3)技術的要因
(4)経営的要因
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寒造りに好適の気候* 灘五郷は、阪神間の海岸線に沿って飛び石のように点在しています。六甲山系から海に注ぐ夙川、芦屋川、住吉川、石屋川、都賀川、生田川の急流が海岸に砂州を造りました。この砂州は酒造りに必要な良質の水が得やすく、大きな蔵が建てられる理想の土地でした。昔はこれらの川を利用して水車小屋を使って精米し、人力では及びもつかないほど精白度の高い米を得ていました。 清らかな酒を醸す必須条件は、精米度と低い気温です。灘五郷は冬になると六甲颪(おろし)をまともに受けます。肌を刺すような六甲颪の寒気を取り入れるため、灘の酒蔵はたいてい棟を東西に長く伸ばし、窓は北向きに建てられています。 このように灘の酒造りには、恵まれた自然環境と人知との融合があらゆるところで見られています。 [↑戻る] 樽回船(たるかいせん)* 近畿から江戸への酒輸送は慶長時代にはじまり、当初は馬による陸上輸送でしたが、ほどなく販売量の増加に対処するため帆船による海上輸送となりました。江戸初期には大阪で船問屋がつぎつぎ生まれ、船の両舷に竹を菱形に組んで樽の安定を図った菱垣回船(ひがきかいせん)や、後には、より安定性があり船足が速い酒輸送専門の樽回船が用いられました。 [↑戻る] 丹波杜氏(たんばとうじ)* 宮水、山田錦という最高の原料の持ち味を、最大限に引き出しうまい灘酒を造り上げるのが「丹波杜氏」の技です。杜氏は酒蔵で働く蔵人たちの長で、いわば工場長的存在。この杜氏の下に選ばれた蔵人たちが集まって一つの集団として働き、蔵ごとに酒造りの技を競い合ってきたのです。蔵人たちは丹波・篠山地方の出身者が多く、農閑期を利用して酒造りにやってきたもので、杜氏との強い連帯感を持っていました。こうした伝統の中で「丹波杜氏にあらざれば杜氏にあらず」と言い切るだけの自信と気概がはぐくまれ、明治以後、丹波杜氏は技術的に遅れていた他の地方の酒蔵を指導するなど、日本酒文化の伝承と発展のために活躍を続けてきたのでした。そして機械化が進む今日でさえ、杜氏は灘の酒の味の決定者として、さらにその責任に重きを加えています。 [↑戻る] 宮水*
そのほかボロン、バナジウム、ルビジウムなどが微量ながら特異的に含まれており、これらは酵母の増殖に対する促進剤として酒造りに効果的な影響を与えていると推察されています。現在の科学でも全く同じものがどうしても作れない宮水は、まさに灘五郷が持つ貴重な財産と言えるでしょう。 播州米* |
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