沢の鶴が灘五郷の一つ西郷の地に創業したのは享保2年(1717年)。八代将軍徳川吉宗の治世下で、おなじみ大岡越前が江戸町奉行に任ぜられた年にあたります。
明治31年(1898年)には醸造石高の増加を受けて合資会社に、さらに大正8年(1919年)には株式会社へと改組して一大飛躍を成し遂げました。
時は昭和へと移り、暫く後に日本は太平洋戦争へと突入。酒造業界にも戦時の酒造統制・販売統制による苦難の時代が訪れました。やがて終戦。幸いにして戦災による当社の損害は軽微にとどまり、戦後はいち早く輸出を再開し、社業の一層の発展に努めました。
その後昭和37年(1962年)には近代的醸造工場「西蔵」を、昭和46年(1971年)には近代的四季醸造工場「瑞宝蔵」を新設。酒造りの理想的環境を追求しながら、伝統の味と品質を守り続けてきました。
そして今。多様化する消費者のニーズに的確に対応しながら、創業以来290有余年にわたり連綿と芳醇な美酒を醸し続ける沢の鶴は、酒どころ灘を代表する銘酒として日本中にその名を轟かせています。
由来資料原文
沢の鶴の酒名は、
「太陽の神・天照大神を伊勢にお祀りしたとき、伊雑(いざわ)の沢で頻りに鳥の鳴く声が聞こえたので、いぶかしく思った倭姫命(やまとひめのみこと)がその啼き声の主をたずねたところ、真っ白な鶴がたわわに実った稲穂をくわえながら鳴いているのを見つけた。
鳥ですら田を作って大神へ神饌(神へのお供え)を奉るのかと深く慈しんだ倭姫命は、伊佐波登美神(いさわとみのかみ)に命じてその稲穂から酒を醸させ、初めて大神に供え奉るとともに、その鶴を大歳神(おおとしのかみ=五穀の神)と呼んで大切にした…」
という伊雑の宮(伊勢内宮と同じ地位を許されている別宮)の縁起(神社の建てられた由来を書いたもの)が元になっています。
そして「沢」は程良い湿気と太陽を浴び、草花や動物にとっては生命を育むオアシスであり、潤いをもたらす小宇宙でもあります。
「鶴」がそのような沢を好み、翼を休め、また羽ばたく姿を見て、人の心もこのような潤いの世界へ導きたい、との願いも込められています。
日本酒は、古来より人々の生活の中に深く根を下ろし、日本独特の「和の文化」の形成に様々な影響を及ぼしてきました。まさに酒造りは日本文化の一翼を担っており、それこそが「日本酒の誇り」であると思っています。
沢の鶴は創業以来290有余年、灘酒の伝統と文化を踏まえ、灘本流の味を皆様にお楽しみいただくべく、酒質の向上、新しい技術の開発、酒と料理の相性研究、酒文化の啓蒙などに心を込めて取り組んでおります。
そして「灘本流の酒造り」を大切に守りつつ、時代にふさわしい日本酒を提供するとともに、新しい「和の文化」(=新ジャパネスク)を提唱して行きたいと考えております。